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東京高等裁判所 昭和28年(ネ)256号 判決

原告 予讃炭化工業株式会社

被告 国

訴訟代理人 堀内恒雄 外二名

主文

原判決を取消す。

被控訴人に対し金百三十一万九千五百三十円及びこれに対する昭和二十五年二月十七日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

控訴人その余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金百三十一万九千五百三十円及びこれに対する昭和二十四年二月四日以降完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、被控訴代理人において、控訴人は、検収は薪炭の現物が政府指定の場所に搬出されると直ちに行われることは殆んどなく、搬出後相当日数経過後になされ、検収調書も搬出の日に遡つて発行されるのが慣例であつたと主張するが、全く根拠のない主張である。検収員梶本重雄が正式に検収員の辞令の交付を受けたのは昭和二十四年一月十五日頃であつたが、昭和二十三年十二月二十五日頃から検収員に嘱託されていたものであつて、彼の担当区域は控訴会社の工場のある愛媛県長浜町とこれに隣接する喜多灘村との僅か二ケ町村であつた。このように担当区域が二ケ町村に過ぎず、その面積はさして広いものではなく、しかも長浜町はいわゆる木炭の生産地でなかつたから、彼の検収について、どんなに繁忙の場合でも、検収を行うまでに数日を要するというような筈がなかつたのである。控訴人は、昭和二十四年一月二十八日以前に粉炭を政府指定の場所に搬出し、その都度検収を要求したとも主張するが、検収員梶本に対して検収を求めた事実は絶対にないのである。従つて、昭和二十四年五月二十五日に作成された検収調書が慣例に従つたもので昭和二十四年一月二十八日に遡つて有効であるから、被控訴人に代金支払の義務があるとする控訴人の主張は、その理由がないと述べ、なお控訴代理人の釈明に対し、被控訴人は昭和二十四年一月二十八日に粉炭の統制が解除になるとの予告はしなかつた。また同日以前に出荷された粉炭について即日検収をなすべき旨各地木炭事務所長(検収員)等になんらの手配をしなかつたと答えたほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

〈立証省略〉

理由

控訴会社が木炭の生産業者であることは当事者間に争がなく、原審及び当審における証人村松忠衛、大浦又一、控訴会社代表者川井酉太郎本人の各尋問並びに当審における検証の各結果を綜合すれば、控訴会社は昭和二十年三月頃から長浜工場で鋸屑粉炭を生産して政府に売渡して来たのであるが、昭和二十三年農林省令第七三号薪炭需給調整規則の施行後は、愛媛県販売農業協同組合連合会が薪炭生産者の委託を受けてその生産した薪炭を政府に売渡すことを業とする指定業者となつたので、これに委託登録し、その代行機関である長浜町農業協同組合に長浜工場で生産した鋸屑粉炭を引渡し、愛媛県知事の行う検査を受けたうえ政府に売渡して来た。しかるに売渡す場合の政府指定場所は長浜町所在の愛媛機帆船運送株式社長浜支店の倉庫であつたが、同倉庫が一杯になつたので、以後同町の長浜女子高等学校の校庭が組合に引渡された粉炭の置場所となり、同所にも積み切れなくなつたので、右校庭に隣接する長浜町有の遊園地が右粉炭の置場所となつた。しかして控訴会社が同会社長浜工場で生産した鋸屑粉炭を、昭和二十三年十一月十六日頃から同二十四年一月二十八日までの間に右校庭と遊園地とに搬出し長浜町農業協同組合に引渡した数量は合計二万七百八十俵(一俵十五瓩)であることを認めることができ、原審及び当審における証人宍戸豊希の右遊園地にあつた粉炭は一万俵あるかないかであつた旨の証言は措信し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

控訴会社は、本件鋸屑粉炭の供出による売買は、控訴会社がこれを前記場所に搬出して長浜町農業協同組合に引渡したときに成立すると主張するが、前記薪炭需給調整規則によれば、木炭若しくは薪の生産をする者(薪炭生産者)は、法定の場合を除き、その生産物のすべてを政府に譲り渡さなければならない(第三条)のであつて、この場合都道府県知事の行う検査に合格した薪炭でなければこれを譲り渡すことができず(第六条)、しかもこれを譲り渡す場合は、直接政府に販売するか又は薪炭生産者の委託を受けてその生産した薪炭を政府に売渡すことを業とする者の指定を受けた者(指定業者)を通じて販売するかを決め(第七条)、後者の場合には、指定業者に委託登録し、必らずその指定業者を通じて政府に売渡さなければならないのであり(第十一条、第十五条)、薪炭生産者又は指定業者が薪炭を政府に売渡す場合には政府の指定する倉庫又は場所でこれを行わなければならず(第十七条)、政府が薪炭生産者から直接又は指定業者を通じて薪炭を買入れたときは、薪炭生産者ごとにその買入れた薪炭の代金の支払証票を発給し、この支払証票の交付を指定業者に委託することができる(第十六条)のであるがら、指定業者は政府に代つて薪炭生産者よりその生産した薪炭の買入をなすものではなく、薪炭生産者の委託を受けてその生産した薪炭を政府に売渡す手続をなすものであると解するのが相当であるのみならず、原審証人大沢信整、篠崎猪佐男、当審証人宍戸豊希の各証言によれば、政府薪炭検収員のなす検収とは、政府のために供出薪炭の品質、数量、銘柄等を現物について検査確認してその引渡を受けることをいい、愛媛県における薪炭生産者は指定業者である愛媛県販売農業協同組合連合会を通じてその生産した薪炭を政府に売渡すのであるが、この場合市町村農業協同組合は右連合会の代行機関として同会のなすべき手続をなすものであり、右組合が受取る供出薪炭は、まず県の林産物検査員によつてその品質、数量、銘柄等が検査確認され、しかる後政府薪炭検収員による前記趣旨の検収がなされ、これによつて政府が右供出薪炭を買入れたことになり、以後は右組合が前記連合会の代行機関として政府のために供出薪炭の保管の責に任ずる仕組になつていることが認められるので、薪炭需給調整規則に基く供出薪炭の売買は、政府薪炭検収員の検収によつて成立し、このときに供出薪炭の所有権は政府に移転し、以後前記連合会が政府のために保管責任を負うものと解するを相当とし、原本の存在並びにその成立に争のない甲第十一号証記載の「検収後の薪炭保管」とは、右のように政府薪炭検収員の検収がなされた薪炭についてのみの保管を意味するものと考えるべきであつて、未検収の供出薪炭は、政府薪炭検収員の検収あるまでは、指定業者が受任者としての立場から委託者たる生産者のために委託された薪炭の保管をなしているものと解すべきであり、また原審及び当審における証人村松忠衛、大浦又一の各証言によれば、長浜町農業協同組合は、愛媛県販売農業協同組合連合会の代行機関として控訴会社からその生産した鋸屑粉炭の引渡を受けるに当り、品質、数量等を検査したことが窺えるが、前記甲第十一号証によつても、右連合会は、政府との契約に基き、政府薪炭検収員の検収事務を補佐するに過ぎないものであるから、右検査はもとより政府薪炭検収員のなすべき検収に代り得るものではなく、指定業者が薪炭生産者から売渡の委託を受けるに当つて受任者としての立場からこれをなすものと解するのが相当である。しからば、控訴会社が、本件鋸屑粉炭二万七百八十俵の供出による売買は、控訴会社がこれを前記長浜女子高等学校の校庭及びこれに隣接する長浜町の遊園地に搬出して長浜町農業協同組合に引渡したときに成立し、その後の政府薪炭検収員の検収は単に政府内部のことに属し、ただこの検収の結果銘柄、品質、数量等が現物と相違しているときはこれを条件として右売買が失効するに過ぎないとなす主張は、到底採用することができない。

ところで成立に争のない甲第一号証、原審及び当審における証人梶本重雄、村松忠衛の各証言及び右梶本の証言によりその成立を認め得る乙第一号証の二十九を綜合すれば、政府薪炭検収員であつた梶本重雄が、長浜町農業協同組合書記村松忠衛よりの昭和二十四年一月二十七、八日頃からの再三の求めがあつたが、鋸屑粉炭の検収に未経験であつた等の理由により延引し、漸く同年五月二十五日に至つて本件鋸屑粉炭二万七百八十俵を検収し、同年一月二十八日附で右粉炭を一俵六十三円五十銭の割合で検収した旨の検収調書を作成交付したことを認めることができる。

鋸屑粉炭は、昭和二十四年二月四日公布の農林省令第七号により、同年一月二十九日以降は前記薪炭需給調整規則にいわゆる木炭の定義から除かれ、鋸屑粉炭については同規則が適用されなくなり、右農林省令第七号には特別の定めがなされていないので、薪炭検収員は、昭和二十四年一月二十九日以降は、たとえ本件鋸屑粉炭のように同月二十八日までに薪炭需給調整規則により指定業者に売渡を委託したものであつても、同規則により政府のため鋸屑粉炭を検収する権限を失つたものと解せられるようであるが、右のように解するときは、上記の如く薪炭需給調整規則により薪炭生産者をして法定の場合を除きその生産せる鋸屑粉炭をすべて政府に譲り渡さなければならないものと定めておきながら、昭和二十四年一月二十九日以前に粉炭のいわゆる統制解除につきなんらの予告もせず、またその前日までに出荷された粉炭について即日検収をなすべきこと等についてなんらの手配も講ずることなく(右予告及び手配のなかつたことは被控訴人の認めるところである。)、突如として同年二月四日公布の前記農林省令第七号を以て、しかも同年一月二十九日に遡つて鋸屑粉炭を木炭のうちから除外して政府買上を行わないとするが如きは、いわゆる「民を罔するもの」というほかなく、薪炭生産者に予想し得ない損失を被らせるおそれがあるものといわなければならない。したがつて薪炭需給調整規則及び右農林省令第七号を運用するについては、以上の点を十分考慮し同令公布の日たる昭和二十四年二月四日前(少くとも同年一月二十八日以前)に正規の手続を経て政府指定の倉庫又は場所に搬入された鋸屑粉炭については、政府は右日時以後も検収、買上の義務を有し、したがつて薪炭検収員もかような粉炭についてはこれを検収する権限と職責を有するものと解するを相当とする。

しからば上記認定の梶本検収員のなした本件鋸屑粉炭の検収は有効であつて、これにより控訴会社と政府との間に本件鋸屑粉炭二万七百八十俵について売買が成立し、且つその引渡を了するに至つたものと解するのが相当である。尤も昭和二十三年法律第二一〇号指定農林物資検査法第二条、第四条、第五条(前記薪炭需給調整規則第六条は右検査法第五条と重複するので、昭和二十三年十月九日公布、即日施行の農林省令第九三号によつて削除された。)によれば、本件鋸屑粉炭二万七百八十俵の生産者である控訴会社が指定業者たる愛媛県販売農業協同組合連合会を通じて右粉炭を政府に売渡すについては、愛媛県知事の行う検査を受けなければならないところ、右検査を受けた事実については、原審及び当審における証人梶本重雄の証言はこれに吻合するが、後記証拠と対比して措信し難く、他に該事実を認め得る証拠はなく、却つて成立に争のない乙第十二号証(昭和二十四年二月三日附木炭検査請求書)、原審及び当審における証人泉郡の証言によれば、前示梶本重雄が検収をした昭和二十四年五月二十五日までに右検査を受けなかつたことを認めることができる。

しかして薪炭需給調整規則は、当時不足していた薪炭についてその需給を調整するため、政府自ら生産者から薪炭を買入れ且つ配給の統制に当る目的を以て、臨時物資需給調整法に基き制定されたものであり、前記指定農林物資検査法が、重要な農林畜水産物資の取引の迅速及び安全を期し、あわせて当該物資の品質の改善を図ることを目的とし(第一条)、都道府県知事の行う検査を受けずして指定農林物資の生産者がその生産した物資を販売し、若しくは販売の委託をするのに対して罰則を定め(第十五条、第十七条)で、右検査を受くべきことを強制しているところにかんがみると、薪炭生産者がその生産した薪炭を薪炭需給調整規則により政府に供出の申出をするについては、必らず都道府県知事の行う検査を受くべきであり、この検査を経ずしてなした供出の申出は正当な供出の申出とはいえないものと解するを相当とする。

右のように解するときは、愛媛県知事の行う検査を受けずしてなされた控訴会社の本件鋸屑粉炭の供出の申出は、正当な供出の申出ではなく、政府すなわち被控訴人にこれが買上の義務を認めることができないし、検収員梶本重雄においてもこれを検収する権限はないものと思われるようであるが、元来、都道府県知事の行う検査と政府薪炭検収員のなす検収とは、その目的と効果においては差異はあるが、その調査の範囲、内容は大差がないから、都道府県知事の行う検査を経ないものについて、政府薪炭検収員が検収をなした以上、少くとも生産者と政府との間に売買が有効に成立し、且つその引渡が完了したものと解するのが正当であるばかりでなく、前示乙第十二号証と原審及び当審における証人大浦又一、当審における証人梶本重雄の各証言当審における控訴会社代表者川井酉太郎本人尋問の結果とを合せ考えると、控訴会社は昭和二十四年二月三日に長浜町農業協同組合と連名で、愛媛県知事の行う上記検査事務を取扱つていた同県喜多地方事務所長に宛てた本件鋸屑粉炭二万七百八十俵についての検査請求書を同事務所長浜駐在所に提出し、且つ同駐在所員から検査料の納付を供出についての政府の仕切あり次第納付することの了解を得て受付けられたことを認めることができ、右認定に反する証人泉郡の原審及び当審における証言は信用し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠はないから、他に別段の事由のないかぎり、本件鋸屑粉炭については、愛媛県知事の検査がなかつたことによる不利益を生産者たる控訴会社に帰せしめて、上記認定の梶本検収員のなした本件鋸屑粉炭の検収を無効と解することはできない。

しかして、本件鋸屑粉炭の長浜町における政府買上価格が昭和二十四年一月当時一俵(十五瓩として)金六十三円五十銭、二万七百八十俵につき合計金百三十一万九千五百三十円であつたことは、前示甲第一号証、原審及び当審証人村松忠衛の証言によつてこれを認めることができるから、実際検収のなされた同年五月二十五日においても、反証のないかぎり、同一価格を以て買上げられたものと認めるのが相当である。

そうであるから、その余の争点について判断するまでもなく、被控訴人は控訴人に対して、右金百三十一万九千五百三十円及びこれに対する本件訴状の被控訴人に送達せられた日の翌日たること記録上明らかである昭和二十五年二月十七日以降完済まで年六分の商事法定利率による遅延損害金の支払をなす義務があるものというべく、したがつて控訴人の本訴請求は、右義務の履行を求める限度においては理由があるが、その余は理由がないから棄却すべきである。

よつて右と異る原判決は失当であるから、これを取消すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柳川昌勝 村松俊夫 中村匡三)

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